永泉寺の沿革

永泉寺は延暦年間(782年~805年)の創建で、桓武天皇の子孫である相馬式部太夫政安の建立したもので、当時は天台宗であったと伝えられています。開山したのは西賢太師。

承平年間(931年~937年)平将門が関東一円を配下に治めていたころ、将門は常に6個の土偶をつくり、自分と同一の格好をさせ、馬に乗せ先頭にたたせて指揮させていました。

しかし、力尽きて戦いに負けた将門は、影武者であった6個の土偶をこの地に捨てて逃げてしまったといいます。哀れに思った「相馬政安」は、この土偶を安置して堂宇を建立「永泉寺」と名付けました。

その後、第2代目の相馬式部太夫政安という人が、法名を西賢と号し、寺院として開山したと伝えられています。

天正年間(1573年~1592年)に入り天下は乱れ、当寺もまた、大変みすぼらしくなってしまいました。当時の住職「澄西法師」は大いにこれを嘆き、近くの国々に使いをだして、寄付金を集めて本堂を再建しました。天正6年に澄西法師は横曽根村(現 常総市水海道)の坂東報恩寺7代目の僧侶、蓮宗上人に仕えて、中興の開基(宗派を変えること)をおこないました。

時は下り、慶安2年(1649年)10月17日に、徳川3代将軍家光公から三石五斗余りの「ご朱印」をいただいています。以後、明治時代まで代々「ご朱印」をいただくことができていました。

こうして、永泉寺は代々受け継がれて、現住職で第三十一代目を迎えることができました。

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